1947年~(昭和22年)「よりよい商品を、より安く」という商売の原点に立ち、万年筆やカメラを販売

中島飛行機に勤務していた初代・広瀬太郎が、終戦後の1947年、高崎市連雀町でアサヒ商会を創業。翌48年法人化し、株式会社アサヒ商会を設立しました。「よりよい商品を、より安く」という商売の原点に立ち、リュックを背負って東京に出かけては、万年筆やボールペン、カメラなどを仕入れて店頭に並べました。物がない時代でしたから、30坪ほどの店に1日1500人ものお客様が押し寄せ、万年筆は1日100本も売れたと伝わります。

NHKの紅白歌合戦が始まったのは1951年、そのころの当社の営業車はスクーターでした。しかし初売りともなれば、朝から1000人以上のお客様が行列をなし、ボールペン、万年筆が飛ぶように売れてゆきました。カメラ部門も好調で、当時としては珍しいモデル撮影会を企画。大型バスに乗り切れないほどの参加者があったと記録されています。

また1950年代の高崎は建設ラッシュで、設計図の青写真焼き付けサービスも繁昌した様子。青写真複写機に続いて52年には群馬県で初のマイクロ写真撮影装置を設置しています。

60年代は世の中が本格的にコピー時代に突入。当社では61年、計算機、複写機の卸売りを開始しました。


1966年~(昭和41年) 問屋町進出第一号企業、郊外型店舗のパイオニアとして

66年には高崎市郊外に問屋町が造成されました。高崎市が全国に先駆けて整備した卸売商社の団地です。当初はあたり一面原っぱ状態でしたが、当社は一番に進出を決めました。問屋町進出第一号企業です。この決断は、やがて訪れる車社会を予測してのこと。広い店舗に豊富な商品、広々した駐車スペースは、いまでは店舗運営の必須条件です。事実、現在の高崎問屋町は大きく発展を遂げ、全国各地に同じような問屋団地が誕生しています。

問屋町への進出は、当社にとってひとつのターニングポイントになりました。当時としては圧倒的な品数・在庫量の文房具と事務用品の倉庫には、小売りへの要望が高まっていったのです。こうして郊外型店舗としての運用も始まり、1980年には事務機キャノン部門を連雀町店舗から移設。この間、キャノン代理店として計算機販売全国一を達成するなど、売上新記録の更新が続きました。

さらに81年には問屋町にマイコンショップを開設。そのころあった全国組織「日本マイコンクラブ」の群馬支部として、地元でのマイコン普及にも取り組みました。ちなみに当時のマイコンは100万円~200万円もする高額商品。それでも需要熱は高まり、当社への講演依頼は年間80回にも及でいます。


1995年~(平成7年) インターネット時代を牽引、店舗部門はHi-NOTEの新名称に

やがてマイコンと呼ばれたマイクロコンピュータ時代から、パソコンと呼ばれるパーソナルコンピュータ時代へと変遷。コンピュータが誰にも身近なものになろうとしていました。こうした社会を予見し、当社では1995年、共同出資によってインターネットのプロバイダー「群馬インターネット」を設立。群馬県でもインターネット通信を自由に行える環境を実現しています。

これに先駆ける10年間は、当社でもお客様のOA化の推進に力を入れてきました。ソフトウェア開発室設置、ホームページの受注作成、システムエンジニアの派遣など情報化事業にも参入。84年には、パソコンと複写機によるオフィスオートメーションを提案するために、問屋町にOAプラザを開設しました。さらにインターネット時代の到来を予測して、文具・事務用品の通信販売を企画。全国に先駆けてネット通販「オフィスエキスプレス」設立し、お客様の需要に即応する体制も創り上げています。通販先進国アメリカに習い、当社が独自に開拓した日本初のシステムは、一世を風靡して後続の誕生を招きました。

そして迎えた21世紀。地球環境への関心が高まり、リサイクル、リユースが見直されています。当社でもリユース家具部門を創設しました。2010年には店舗をリニューアルし、Hi-NOTEの新名称に。時代によりふさわしい提案型の営業を展開し、現在に至ります。




ページの先頭に戻る